エドワード・ゴーリー 柴田元幸訳『敬虔な幼子』
これはあまりに純粋な魂を持つ少年ヘンリー・クランプが穢れたこの世から昇天するまでを描いた絵本。
これがキリスト教の敬虔な信者なら泣きが入るところかも知れないが、幼稚園児の頃にちょっとかじった程度の不信心者の自分にはとんと理解できなかった。
そもエドワード・ゴーリー、この絵本作家が単純にお涙頂戴に終わるわけなく、このヘンリーと言う少年、実に胡散臭く描かれている。
これがキリスト教の敬虔な信者なら泣きが入るところかも知れないが、幼稚園児の頃にちょっとかじった程度の不信心者の自分にはとんと理解できなかった。
そもエドワード・ゴーリー、この絵本作家が単純にお涙頂戴に終わるわけなく、このヘンリーと言う少年、実に胡散臭く描かれている。
- 「三歳になって間もなく自分の心が邪であるが、神様はヘンリーを愛してくれる事を知る」
- 「いつも一人で聖句や聖歌を唱えている」
- 「貧しい不信心者や邪神に小銭を恵んでやろうとお菓子も食べずに過ごす」
まぁまぁまぁ胡散臭いッ!
と言うか、神様相手のコミュニケーションに没入しすぎて人間同士のコミュニケーションできてないんじゃないのこの少年!?
さらにこのヘンリー、
両親を心から愛し、自分に何か出来ることはないかと、朝に夕に訊ねておりました。
とあるが、この時、手にトンカチ持っているのである。おまッ「他人を殴れ」とか言われたら今にも殴りかかりそうじゃねーか!
結局、敬虔な人間はこの世に生きていたって他人に迷惑をかけるだけ。むしろとっとと天国へ、と言うアイロニーのこめられた一冊なのではないだろうか。
そしてそんな敬虔な、大人ではなく子どもを、天国や神様は求める、と言う事に対してのアイロニーなのかも知れない。