メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』

フランケンシュタイン (1984年) (創元推理文庫)

フランケンシュタイン (1984年) (創元推理文庫)

ラノベばかりじゃなくてこういう古典も読んどかなければ!」と言う謎の義務感に突き動かされ、『フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス』を読了。
 べ、別に『仮面ライダーキバ』のドッガがフランケンシュタインの怪物をモチーフにしたキャラだからじゃないんだからねっ! 去年から買ってはいたんだからね! ほんとなんだからね(ぇー)!
 以下感想。

大前提

 まず、いわゆる頭にネジがくっついていて雷で蘇るのが、原典で言う所のフランケンシュタインじゃない、と言う事が新鮮だった。間違ったビジュアルが頭にこびりついていた事を痛感する。
 いわゆるフランケンシュタインって言うのは、主人公であり、錬金術に傾倒して命を作り出してしまったヴィクター・フランケンシュタインの事。
 このヴィクターにより作られた怪物が、フランケンシュタインの怪物(以後、怪物)と言う事になる。
 この怪物は人間並の(あくまで「並」と個人的には思う)知能を持ち、そして人間以上の身体能力や劣悪な環境への耐性を持つ。その知能と身体性のアンバランスさ。存在そのものが、ヴィクターと怪物の悲劇へつながっていく。

死の連鎖

 この『フランケンシュタイン』のストーリーは、怪物の誕生以降、死が限りなく連鎖していく。
 錬金術に傾倒して怪物を作り出してしまったものの、あまりのおぞまさしさに逃げ出してしまったヴィクターを追う怪物。自分の醜さに絶望した怪物は、ヴィクターの親類縁者を次々と殺害していく。親友、そして許嫁と、その連鎖は果てしなく続く。
 生命誕生の論理、と言うのがヨーロッパではやはり重い事なのだなぁ、と実感する。とは言うものの、東洋でも似たようなものだが。それでも、「生命を創り出す」と言う事においての嫌悪感。それに対する罰はかくべつのもののように感じる。

親と子

 ヴィクターを親。怪物を子とするなら、二人は実によく似ている。
 二人とも後先考えない短慮者であり、そして行き着く所までいかないと止まらない。そして得意技は逆切れ(笑)。
 何だかんだの似たもの親子の壮大な親子喧嘩……と言うか、同族嫌悪の連鎖に巻き込まれて人が次々と死んでいく。なんとはた迷惑な親子なのだろう。
 おまけに、その末期も似たようなもので……。
 生命を創り出す事。そして、創造主としての責任から逃げ出す事。その罰と末路と、造られた存在としての苦悩をこれでもかと描いた傑作。なるほど、一度は読んでおくべきだと思う一冊だった。