第20話「その足で」

 森で奇跡的な光景を目の当たりにした波留は、再び本当の海にもぐるため歩行訓練を始める。ミナモはその姿を見て、自分が波留のために何ができるのかを考え始める。
 より役に立つため、電脳化する事にしたミナモ。ミナモは検査に訪れた病院で、若い頃の波留によく似た青年と出会うのだった。

第一感想

 久島のアドリブが適当すぎる……!
 口の回りはよくて言っている事は不自然ではないのだが、アドリブのキッカケと言うか、根っこの部分がほんとに適当。話の中で「根が野暮ったいから〜」なんて事を言っていたが、案外本当の事なのかも知れない。霞八十郎のビジュアルにしても、それが現れているような……。
 過去のバディと現代のバディの密かな交流に、確かな時間の流れを感じる。
 しかし、若い頃の波留そっくりのビジュアルに、何か危険なものを感じざるを得ない(感じるなよ)!
 以下感想。

波留が踏み出す一歩

 前回の森の事件で、自らの足で再び立つ事が可能かも知れない、と思うようになった波留は、周囲に秘密で歩行訓練を始める。
 渇望する「本当の海」を目指しての、まさしく波留の新たな一歩と言える。それはまさに、「イルカは生まれながらにしてイルカ」と言う言葉の通り、自らのいるべき場所へ帰ろうとするような、そんな一歩であるのかも知れない。

ミナモの懊悩

 波留が自分で歩けるようになるのは確かに喜ばしい事だが、そうなれば、ミナモは何ができるのだろう?
 そんな疑問に囚われ、より役に立つために電脳化する事にしたミナモ。
 電脳化が注射二本でできる、と思ったより気楽なものでもあって、なるほど、手っ取り早く役に立ちそうではある。携帯電話のようなコミュニケーションツールでもあり、また社会全体が電脳化してある事を前提としている事もある。社会環境に適応する、と言う意味でも意義のある措置だろう。
 だが逆に、だからこそ電脳化はしてはいけないのだろう。ミナモはあくまで「生身」「現実」に生きるキャラクターであり、メタルの海に潜る波留と同じものを見ていては、そこである意味自己存在理由を失ってしまう事になる。
 してはいけない事だからこそ、波留への恋、とも取れる感情と波留の踏み出した一歩を通して「電脳化」よりも鮮烈に「現実」を描いた事に今回のエピソードの価値があったのではないだろうか。

どうでもいい事

 マスター……あなたに少しでも多くの幸あらん事を!