第12話「光のない朝」

 ミナモが自殺者と勘違いした少女・三稜映見。彼女は生まれつき視力が無かったが、義体化により視力を取り戻したばかりだった。だが、まだ見える世界を認識できずにいた。その頃、波留は久島からメタルアーティスト・イリスの捜索を依頼される。イリスが映見だと言う事は分かるが、彼女はブレインダウンを起こしてしまう。波留はサルベージのためダイブを決行する。

第一感想

 義体で障害の無い社会はありえるか否か。そう考えれば、今回のエピソードは色々重い。
 義体に器官を置き換える事であらゆる障害を根絶する事は可能かも知れないが、やはり障害は社会に歓迎されないとしても本人の「個性」に変わりない。サヴァン症候群などある意味その典型のようなものだと言える。
 四肢や眼球を無くした猫が、それでも生活に適応するように、人間の薄っぺらい「理性」を尻目に、脳は障害に適応するようになっていく。どれほどテクノロジーが発達しても、脳の神秘さには届く事は無いのかも知れない。
 以下感想。

例えようの無いもの

 今回のエピソードはこの「例えようの無いもの」が重要になっていく。
 それは視力が無かった頃の映見の見た「光」であり、無くしたもの。また、波留がメタルアーティスト・イリスの作品に感じたもの。これを波留や久島は「映見が無意識の内に観測した地球律ではないか」と推測した。裏を返せばこれは、「普通の人間」には地球律が観測不可能である、と言われたようなものなのかも知れない。
 波留はダイヴと言う極限状況の中に身を置き始めて観測できたものであるし、一般人に地球律が観測できる時は、かつて人工島を襲ったような災厄でしかないのかも知れない。

「当然」のズレ

 例えようの無いもの。
 こんな感覚、本当はすべての人間が持っているもののはずだ。だが「共同幻想」とも言える五感と言語が、それを無理矢理同じものとして扱っているだけに過ぎない。
 この「当然」の感覚からズレると、あっという間に人は「変わり者」として扱われる事になる。メタルと生活が一体となっている人口島で電脳化していないミナモや、そして目の見えない世界から見える世界へやってきた映見のように。
 自分達が「当然」と思っているものほど脆いものないが、しかしそれを自覚する事は難しい。

取り戻したいもの

 映見は視力よりも、以前見えていた「光」を選んだ。どちらにもなれない現実を受け入れるよりも、「光」を手に入れる道を選んだ。
 この辺り、もう歩く事も出来なくなってしまった波留と境遇を重ねる所が巧い。波留自身もどこかで自分の足で歩けるようになる事を期待しているのかも知れない。だがそれを表に出さない所に、波留の抑制された魅力がある。