第5話「海坊主 大詰め」

 引き上げられた虚ろ船の扉を開き、中にいるお庸を供養しようとする一同。しかし、その中には遺体どころか何も入っていなかった。
 混乱する一堂に、源慧はお庸と自らの過去を語り始めた……。




「海坊主」もついに大詰めになり、明らかになる「真」と「理」。
 と同時に、前作『怪〜ayakashi〜』「化猫」のキャラクターであった加世が再登場した理由も分かりました。両作に共通しているのは、「心が囚われた男にとって都合のいい美しい過去」。そして最大の相違点は、「都合の悪い過去を受け入れるか否か」。
 小中千昭氏による、横手美智子さんへの挑戦と見たが、相違無いか(何様?)!?
 以下感想。


 
 源慧から語られる、妹・お庸との過去。
 龍の三角近くの小さな島で生れた二人の兄妹。いつしか源慧には、妹と結ばれたいと言う思いが生れていた。そんな思いから逃れるため、仏門に走り修行に励む源慧。
 その五年後、島から「荒れる龍の三角へ流す虚ろ船に乗って欲しい=生贄になって欲しい」と言う手紙が来る。島に戻って快諾する源慧だったが、直前になって怖気づく。そこに代役を買って出たのが妹のお庸だった。妹も兄と結ばれたいと言う想いを抱いており、真剣に愛しているが故に自ら死の道を選んだ。
 そして源慧はさらなる修行に励み、現在の尊敬を受ける坊主になった。
 だが、ここで薬売りが美談を「違う」と叩き切る。
 源慧は右目を隠していた。そして龍の三角の空からそらりす丸を見下ろす瞳は、源慧の分身である、と。モノノ怪は源慧本人――それが「真」。




 本当の源慧は妹との禁断の愛を抱えて修行に暮れる高潔な坊主とは程遠い人間だった。彼への愛を告白し、虚ろ船への身代わりを言い出すお庸に対して、

「出世してぇんだよぉ!」
「助かったー! こいつ馬鹿なんじゃねえのか?」
「金か? 金ならねえぞ?」

などと、どこまでも下種で卑劣で愚かな言葉で内心嗤いながら、顔では泣いてみせる。
 こんなどこまでもむかついて、しかも同時に人間臭さを感じさせてくれるのは、中尾隆聖氏の演技力のたまものでしょう。他のだれがやってもこうはならない。
 だが、妹はそんな浅ましい自分を愛してくれている事を知ってしまった。自分が妹を愛しているかは分からない。しかし、確かに愛される喜びは知ってしまった。
 そんな自分の心から目を逸らし続け、自分でもどうしようもないほど膨れ上がった自分の心を直視する恐怖が膨れ上がった結果、源慧から離れ、アヤカシの海へと変えてしまった。 
 薬売りがモノノ怪を斬れば、二つとなった心は再び一つになってしまう。それでもいいかと訊く薬売りに、斬ってくれと答える源慧。退魔の剣を解き放ち、変化して海坊主を斬る薬売り。
 すべてが終わった後、源慧は信じられないほど綺麗な顔をした顔で眠っていた。醜い自分を受け入れて始めて、本当の意味で美しい存在になれたとでも言うように。




 前作の「化猫」との最大の違いがここで、囚われる自分の心を受け入れるか否か、今回の物語ではそれを受け入れる事が一つの人間としての完成をみる行為である、と描かれています。
 しかし、それで終わらないのがこの作品の怖い所。人斬り佐々木が折れた刀を見ながらポツリ「忘れないよ……」と囁いて源慧と同じように右目をおさえる。
 水槽の水は赤いままなので、恐らく彼が新たなモノノ怪となった、と言う事でしょう。まさしく八百万ほどに存在するこの世あらざるもの誕生の瞬間であり、薬売りの旅の果てしなさがうかがえる怪シーンだった。