『仮面ライダー電王』最終話「クライマックスは続くよどこまでも」

 現在の時間に良太郎とモモタロスは帰還した。カイの時間破壊を阻止するために、大量のイマジンに突っこんでいく。物語は真のクライマックスへ!




仮面ライダー電王』大団円!
 お馬鹿なイマジン達と秀逸なストーリーで一年間楽しませてもらった『電王』もついにクライマックスです。一日感想を空けたせいで主要な感想は出揃ってしまったので、ヒネた意見で記事を〆る事にします(ヲイ)。




 見事クライマックスを迎えた『電王』。
 カイが消滅し、他のイマジン達も消えてしまった横で、何故か生きてるタロスとジーク、そしてデネブ。それは良太郎達と触れ合う事で、彼らが彼ら自身の過去を作り出す事が出来たから。彼らは消えず、デンライナーに乗って時間の中の旅を続ける事になった。
 侑斗は最後のゼロノスカードを使い、桜井自身の記憶を消し、自分の時間を生きる事になった。桜井さんは消滅してしまったが、愛理は未来での再会を誓う。
 ハナがコハナに変化したのは、桜井さん消滅のせいで生れるべき時間が未来にズレたせいだった、と言う事で説明がつく。
 どこまでもノリのよかったタロス達。存在と記憶の消滅も厭わず愛する家族を守り抜いた桜井さんと愛理。
 時間の流れの中でどこまでも戦い抜いたそれぞれの姿には、涙と感動を禁じえない。
 でもクライマックスまで来て、肝心の良太郎が何だか嫌な奴だと思ってしまうのは何故だろう……?




 やっぱりそれは、もう一人の特異点・カイがあまりにも不憫だったから。
 語る前に一言言っておくと、これは自分が敗者で悪党のカイを擁護し、勝利した陣営の代表である良太郎にケチをつけて、自分のその気持ちを少しでも軽くしようとする自己防衛の一手段なのです(威張るな)!
 もちろん、作品自体は大傑作。
 仮面ライダーシリーズじゃなくて、「イマジン三部作」とかにしてシリーズ化すればいいのに、と思うくらい(それもそれでまずい気もするけど)。
 今までずっと平成ライダーシリーズを観ていたけれど、本当の「ライブ感」と言うものを実感できた一年でした。
 やっぱり、モモタロスの言う通り「ノリ」で観る作品なんですよね。




 今後はCDや書籍感想、未視聴分などの感想書いていこうと思います。
 さて、以下妄言なので省略。


 不完全な特異点だったせいで人々をイマジンにしてしまったカイ。彼は最後の最後で時間を破壊し、ついに快哉を上げる。
これからが俺達の時間だ」と。
「俺」ではなくて「俺達」の時間。カイはイマジンとなったすべての人々のために過去を手に入れようとしていた。そのための手段が是か非かと問われれば非である事には違いないけれども、あの瞬間、カイは自分とイマジンのための時間を手に入れるために戦った。
 でも良太郎はどうかと言われると、微妙な所。




 何せタロスが消えた時には、連れてこられたジークの名前を言ってなかった。あの瞬間、消えて良太郎の胸が痛んだのは四タロスのみで、ジークはそうではなかったのだ(ここ、ジークの「なぜ私の名前を言わんのだ」と言う疑問は全く正しい。)。
 むしろ良太郎の立ち位置は、時間を守る戦士、と言うより、視聴者側に近い。
 視聴者はそりゃ四タロスの事は覚えているし、デネブもジークの事を覚えているだろうけど、他のイマジン達、覚えてますか。覚えてないでしょう。
 良太郎は特異点で時間を再生させる起点ではあるけれど、電王として戦う必要性は、実はあまり無かった(どれだけイマジンが時間を破壊しても、過去で桜井さんがイマジンを倒せば良太郎が知らないうちに時間を再生する)。
 そのくせ電王になって戦って勝手に盛り上がって時間にちょっかいだいているのだから、見ていてあまり気持ちのいいものではない。悩みも苦悩もいつも「今更」で、むしろ不幸を利用してちゃっかりしている一面もある。
 結局、良太郎は最後の最後まで一人の人間だった。嫌な事、嫌いな奴の事は忘れて愛する人々を強く記憶する、平凡で、しかし残酷な一人の普通な人間だった。
 その姿が、自分のせいで見ず知らずの人を大勢苦しめ、それを贖うように過去に侵略してきたカイの重みを理解していないようで腹が立ち、嫌な奴だと思ってしまう。




 侵略を是とするわけではなく、むろんカイのやった事は間違っていると思う。
 しかし、カイが作り出したデスイマジンは、「覚えておけ」と言ったのに。