久世みずき『電脳コイルTHE COMICS』

電脳コイル―The comics (ちゃおフラワーコミックス)

電脳コイル―The comics (ちゃおフラワーコミックス)

 以前感想を書いたコミックス版『電脳コイル』が書き下ろしの第2話を加え、一冊の単行本として発売されました。しからば感想を。
 第1話がヤサコ→イサコのストーリー構成だったのに対し、第2話はイサコ→ヤサコのストーリー構成と対を為したものに。二人が互いを「友達」と認め合うためのプロセスと結果が丁寧に描写されていて、少女同士の友情、と言う面ではある意味アニメよりも素直で、より感情移入しやすくなっているように思います。
 また、第2話はイリーガルによって子ども達の精神が電脳大黒市に迷い込んだ、と言う設定になっていて、そこでクローズアップされているのはハラケンとカンナ。
 交通事故で死んだカンナの精神が電脳大黒市に迷い込み、そこでならハラケンは死んだカンナと会い、話す事が出来る。しかしハラケン達がそこから脱出してしまえば、電脳大黒市自体が消え、カンナもいなくなってしまう。
 そんな「現実」に戻る事が嫌でただをこねるハラケンは、アニメ本編におけるイサコのポジション。そんなハラケンにヤサコ達が「帰ろう」「辛い時はみんないる」と声をかけ、カンナ自身に背中を押される事でハラケンは現実に帰還します。
 それがアニメのヤサコ、イサコの側にいない、互いに離れ離れのまま成長の痛みを感じた事と逆に、「友達全員で痛みを乗り越えていこうとする」事がコミック版での答えでした。あのハラケンがヤサコに、

ぼくイリーガルの研究をやめることにした
その分みんなで遊びにいったりみんなでたくさん楽しいことをしよう
小学校最後の夏休みだから

こう言ったのがその答えをさらに強化しています。
 だってアニメでは、この言葉、逆ですよ。言ったのヤサコですよ。アニメではカンナを諦めきれないハラケンに対して無力で虚しい響きを伴っていたのに、コミックでは途端に希望に満ちた、素晴らしい言葉に早変わりしている事が印象的です。
 アニメでは一人一人が心に友達と細い道でつながっているのを感じる事で大人になる。
 コミックでは友達全員が一緒になって大人になる。
 個と全の視点の差の妙が、コミック版の最大の魅力でした。




 また、コミックでもイサコは相変わらず女王様です。ダイチとかひたすら踏まれまくってます(笑)。そして、ここだけの映像特典(?)として、エプロン姿のイサコが登場っ! アニメでは絶対観る事の出来ない彼女の艶姿を是非ご覧あれwwwww