エイミー・トムスン『ヴァーチャル・ガール』

ヴァーチャル・ガール (ハヤカワ文庫SF)

ヴァーチャル・ガール (ハヤカワ文庫SF)

 以下感想。
 人間嫌いのデブヲタ・アーノルドが自らの伴侶にしようと作り上げた美少女型のロボット・マギー。しかし人工知能開発が禁止されている今、正体がばれればマギーは即座に破壊されてしまう。二人は追跡の手を逃れ、放浪の旅に出る。
 だがマギーは旅の途中、アーノルドとひょんな事から別れる事になり、そこから彼女一人だけで旅を続ける事になる。その旅の中で、マギーは確固とした「自我」に目覚め、ついにアーノルドの手から離れ独立していくのだった。
 と、ストーリーを書けばこのような感じになる。
 まず、マギーを作り上げたアーノルドがイタい。機械工学の才能には溢れているが対人恐怖症気味のデブヲタで、そも美少女型ロボットを自分の伴侶にする、と言う考え方がイタい。
 評価できるのは、権力に対する反抗心ぐらいか。だがストーリーが進むにつれ、アーノルドは生身の女の良さと、たった一つの長所であった権力への反発心も無くして権力を振るう快感に目覚めていく。何と言う堕落! そこは最後までイタい男なりにイタイタしさを貫くところだろうに(どんな批難だ)!
 対して、マギーは一体のロボットと言う立場から、自分の居場所を見出し、それを創り出していく。
 アーノルドの造ったAIは「自己を最優先に保護する」と言うコマンドを与えられ、そこからアーノルドが造り出したものよりも遥かに優秀なプログラムを再構築する。
 多くの人々との出会いの中で「自分がロボットである」と言う事実をつきつけられ、ジレンマを感じながらも、「自分はロボットであってよい」と自己を肯定し自分と同じく自我を持ったAIと共に、人間の中で生きていく。
 結局、嫌悪するものにすり寄って生きていく形になったアーノルド。対して、人以上に生き生きと自己に寄って生きていく事になったマギー。
 SFお約束のテーマながら、人間らしく生きるとはどういう事か? と言う事を改めてこちらにつきつけてくる一冊だった。