『K-20 怪人二十面相・伝』

第一感想の前に

 二週間前に観た映画のレビューがようやく書けたのでアップ。『ナイトメア・オブ・ナナリー』等、漫画のレビューは明日から再開します。

第一感想

 凄くいいエンターテインメント映画だった。
 古き良き冒険小説の世界はそのまま、でもそんな懐かしさに頼りきっただけの映画とも違う、何とも爽快な一作だった。
 以下ネタバレ感想。

世界観

レトロフューチャー

 本作の大きな魅力の一つがこの世界観だと思う。
 帝国陸海軍とアメリカ、イギリス軍との平和条約の締結が合意に達し、第二次世界大戦が起こらなかった日本=帝都。
 そこでは第二次世界大戦で滞った技術発達が滞りなく発達し、電波塔、高層ビル、さらに自家用のオートジャイロまで存在する。
 帝都はまるでニューヨークと上海をごった煮にしたような発達を見せる一方で、黒煙を噴き出す、大規模な工場。薄汚れた昔ながらの長屋と、決して真っ白な、綺麗な色合いでは無く、どこか全体的にくすんだ世界観。
 個人的に、一番ツボにはまったのがこれだった。こんな街の表で裏で、怪人二十面相や平吉達が走り回るのを受け入れる事を受け入れる大きな世界観。

格差社会

 華族制度が存続し、身分制度も存在する帝都。現在の格差社会が絶望的に見える、金どころか人権も見えない社会。
 浮浪児は集まり必死に生き、その裏で華族達は優雅に生活して、そんな浮浪児達の存在を知る事も無いし、見て見ぬふり。
 ここで描かれる格差社会をそのまま現代社会にあてはめて語る事は愚かで、こんな娯楽性の高いエンターテインメントから学ぶべき事は一つだけ。
 それは、心の持ちようと行動により、世界と対決する事は出来る、と言う事。それは主人公平吉と、二十面相、そしてヒロイン葉子の三人から学ぶ事が出来る。
 平吉は、貧しいサーカス出身。怪人二十面相だと言う冤罪を着せられ、隠れ潜む生活を送らざるを得なくなる。しかしそんな中でも、浮浪児達のため、と言う生きる理由を得た後、彼は強くなる。ドロボウ修行に街を走り回り、冤罪を晴らすため怪人二十面相と対決し、挙句、最後には自分で本物の怪人二十面相として生きる事を選択する。
 対する二十面相は、同じく貧しいサーカス出身なれど、やっているのは破壊のための悪事。自分達のような貧しい人間を生んだ社会を破壊するため、怪人二十面相は他人を騙し続けて生きていき、挙句の果てに死ぬ。
 そして葉子は何不自由の無い華族の生活から貧しい人々の存在を知り、自ら華族の制度を変え、社会に対し成果を還元していく事を決める。
 我慢して我慢して、最後に爆発する人間は多い。そんな人間に対し、多くの人間は何もできないし、知っていても何もしない。「またやったのか」「いつかやると思っていた」などと嘲笑うのが関の山だろう。
 そんな現状を変えるため、平吉は、そして葉子は死ぬ事無く、戦い続ける。眼前の世界を無くすのではなく、変えていく。そんな姿勢こそ、この作品から学ぶべき事の一つだろう。

キャラクター

平吉と明智小五郎

 平吉を怪人二十面相と断定し、冤罪をおっかぶせたのが他ならぬこの明智小五郎
 サーカス出身の下層階級。知性も教養もまるで無しな平吉に対し、華族である葉子と婚約し、名探偵として華々しい活躍を見せる明智小五郎
 中盤からラストにかけて、この二人の友情が非常に重要なものになるが、ちょっとここら辺だけは、拙速すぎたかな? と思う 
 何せ、大きなヤマを越えて二人が友情らしきものを互いに結びあった、と思った矢先に明智小五郎が射殺されるのだから! しかも、平吉をかばって、である。
 だからこそ、平吉が怒りに燃え上がるのかも知れないが、もう一つだけ、何か欲しかった所。いや、でも、もう一つあっても今度は逆にくどいか……。何にせよ、メイン二人の友情と言うのは大切、と言う話。いや、その、そういう意味では無く(どういう意味)。

ヒロイン葉子

良家の子女のたしなみです!
 で、ある意味全てが解決するキャラクター。
 ともすれば感情移入できず単に嫌悪の対象となるだけのヒロインだが、

  • 与えられたレールの上を行くだけの人生に疑問を感じている事。
  • 浮浪児達を見て、素直に憤りを感じている事。
  • その中に取り残されても、次の日どこからもってきたのか炊き出しなんぞやっている事
  • 「良家の子女のたしなみです!」でオートジャイロの操縦から護身術まで何でもやってのける事。
  • 天然。

 等、決してそれだけでは無い、面白いヒロインになっている。
 最後には平吉と結ばれる事無く、昼と夜、まるでコインの表と裏のように、互いに互いを想ってそれぞれの世界で戦う。そして最後に平吉を思うモノローグと、闇夜に舞う怪人二十面相=平吉の姿が印象に残る。

そこで生きる人々

 本作にはメイン以外にも、魅力的な多くのサブキャラクターが登場する。明智小五郎と言えば! の小林少年。ダメ刑事の浪越警部。特に小林少年は、最後の最後で黒幕として現れるのではないか? と思わんばかりの黒さを発揮していた(偏見だよ)。
 いや、結局、最後には明智小五郎の後釜に居座っているようだから、その偏見は間違いないのかも知れない。
 平吉をサポートし、カラクリならお手の物、と言う源治。その妻で二人をサポートする菊子達泥棒長屋の面々
 平吉が最初は軽蔑し、そして最後にはすっかり住人となっていた泥棒長屋は、平吉が泥棒修行の成長具合を観客に見せるのにうってつけだった。
 まぁ一番の突っ込みどころは、あの泥棒修行の書をだれが書いたのか? と言う点なんだけれども(笑)。それはまぁ、エンターテインメントだから横に置いておこう。

ワイヤーアクション

 本作のアクション最大の特徴は、ワイヤーを使ったアクションだろう。
 ワイヤーを射出する機械を使い、平吉が縦横無尽に帝都を駆け回る姿は実に痛快だ。
 パルクールと言う、道具を使わずに自らの肉体だけで障害を越えていくスポーツが導入されている、と言うのも頷ける。
 階段を駆け抜け、ビルを渡り、そして武器にも使う。ワイヤーを用いたアクションの可能性を見せつけられた。

怪人二十面相の正体

 本作一番の衝撃は、「探偵役が犯人」である事。すなわち、怪人二十面相明智小五郎! である事だった。
 そ、それはある種の禁じ手です! と言わんばかりのネタバラシであった。まぁ主人公が明智小五郎では無く平吉であったから大丈夫だったのだろうが……。
 彼を真っ先に疑っていたのはヒロインでもあり、婚約者の葉子だった。実は変装して顔は変わっていても、「手の形が似ていた」と言う理由で疑われていたのだ。
 ここら辺、女性っぽい理由だよなぁ、と思う。
 男は「ばばーん!」とか「どかーん!」とか「なんだってー!」な大仰な証拠が好きだが、こういう些細な所で全てが瓦解していく、と言うのは性差を象徴しているようで好きだ。

総評

 日本初アクション映画の中でも、屈指の出来だったと思う。是非もう一度くらい観直しておきたい映画だった。
 こういう実写もののDVDは買わないけれど、買ってしまおうかな……?