理解できない人間に「一人で死ね」と言わないために他人を理解したい時に心がけたい事を考える
承前
あ、書いてる内に夜が明けた。雨だけど。
自分は色々気にかけてくれている人がいて、気にかけたいものがあって、結構幸せ者なんだと思った。何だか色々ありがとうございます。
以下記事。
感想
もう遥か古代から繰り返されたありきたりな「妄想」(=新しい玩具を年寄りは気に食わない)にして単なる「愚痴」なので、基本何も言う事はない。
許すもの、許さないもの
わたしが通り魔犯についてのコラムを書いた直後、秋葉原で恐ろしい通り魔事件が起きてしまった。事件が起きた6月8日、ちょうどわたしは秋葉原に買い物に行く途中だったが、事件のことを知って行くのをやめた。
なぜ、犯人は自分1人で自殺しなかったのか。なぜ、全く関係ない人を殺したのか、殺された方々のことを考えるとやりきれないし、許し難いことだ。
命を落とした人、傷ついた人。そんな人々を思い、罪を許さないのは当然の事だ。しかし「なぜ、一人きりで死ななかったのか?」と言うのはひどいんじゃないのだろうか?
一人はヤなもの、辛いもの
一人って基本的に嫌なものだ。心が満たされる一人なんて、滅多にない贅沢品だ。
それに、自分で自分を殺すのって半端じゃなくエネルギーがいる。すとんと覚悟を決めて実行に移せる奴なんてほとんどいないだろう。自傷だけでも痛いし。空しいし。寂しいし。そりゃしこたま酒でも飲んで凍死でもすれば脳内麻薬でも分泌されて気持ちがいいのかも知れないが。
けれども、「なぜ、犯人は自分1人で自殺しなかったのか?」と言う言葉には「一人で死ぬぶんには一向に構わない」と言う思いが透けて見える。それは無いだろう。迷惑かけなきゃ死んでもいいと思ってやがる。一人がかっこいいと思ってるチューガクセイか。ああ恥ずかしい。
- 「ゲームが悪い影響を与える?」
- 「現実と非現実の区別がつかなくなる?」
だったら宗教を規制しろよ。キリスト教とか。あれは世界に屍の山を築き血の涙を流した世界最悪の非現実じゃねーか。非現実じゃなくて、「言い訳」って言う立派な現実だけどな!
許さないものを間違えるなよ。許さないものは人ではなく、殺人に追い込んだシステムだ。そしてゲームは、流通している単なるアイテムにすぎない。手を取られなきゃ、あんなの存在していないのと一緒だ。理解できないものに怯え、単純に分かりやすい理屈をつけたいだけだろう。
それはどうでもいいとして
生きている上でキツイのは、他人と関わる事。世の中、優しい人はいっぱいいます。話しかけてくれたり、慰めてくれたりするいい人はいます。
でも、そんな人達に混じって、とんでもなく無神経で無思慮で吐き捨てるばかりの人間がいる事も確か。
そんな奴らの事を理解できない。したくない。「さっさとくたばれ」と吐き捨てたくなる。でもそれじゃあ、嫌な奴らと変わらない。いい自分になりたい。なるたけ他人を理解したい。でもどうやって理解していけばいいの?
そんなわけで、他人を理解したい時の心がけたい事を改めて整理してみた。具体的に試した事が一度しかないので、どこまでアテにできるか分からないが。
……いや普通、こんな事考える時点でだめなような気もする……orz
他人を理解したい時に心がけたい事
どうしても他人と係わり合いになりたくない時は
自分がいるぜ!……なんてモニターごしに言っても何の説得力も無いので言わないっ(言ってるじゃねーか!)。
それに自分も、なるべく他人となんて係わり合いになりたくない(ぇ)!
だからもしもこれを読んでくれたあなたが他人とどうしても係わり合いになりたくない時は、「お前もかっ!」って言って下さい。
それだけでいいです。
そしたら、もう関わった事になりますから。少なくとも言ってくれた人には「一人で死ね」なんて言いたくないです。だって自分の言葉にのってくれたあなたは、きっと、いい人でしょうから。