『ドラゴノーツ -ザ・レゾナンス-』第17話「咆哮 -明星の燃えしとき-」

 アキラの死により暴走し、ドラゴンとしての本性をむき出しに暴れまわるマキナ。人とドラゴンの関係性を嘲笑するアーシムは自らドラゴンにアクチュアライズしたガーネットを駆り、大量のアガシオンの軍勢と共にジン達を追い詰める。




 本編に触れる前に。
 公式HPに行ったらストーリーコンセプトが前川淳氏から森田繁氏に変わっている……! と吃驚。
 他の仕事が忙しいからか、はたまたこれまでのストーリー展開への批判からか……。個人的には好きなのですが。
 ……いや、そんなところでこんな事言っても仕方が無いので(いつもこんなですが)以下感想。




 今回のエピソードで描かれたのは、ドラゴンの真の力。
 生身で宇宙空間を亜高速で飛行し星(惑星)を砕く。そんな人知を超えた力を前に、人は恐れ慄くしかない。オストルムがもたらした脅威は街一つ程度だったが、今回火星を焼き尽くしたギオの力は、ドラゴンの持つ真の力をまざまざと人に見せつけた。
 地球では、当然ドラゴンへの危惧が持ち上がる。
 これまで裏で動いていたヨナミネの正体が国連の人間であり「ドラゴンを利用する」と言う考えで動いたようだが、今回の一件で総意はドラゴン排斥に向かうようだ。
 それでも「ドラゴンを倒せるのはドラゴンだけ」と言っているので、もっと強力にドラゴンに拘束力を発揮するレゾナンスを作り出すつもりなのかも知れない。




 これまで描かれていた人とドラゴンの関係性は、このレゾナンスによって形成されていた。このレゾナンスを巡って、ジンとトア、ギオ。アキラとマキナ。アーシムとガーネット、三者三様の姿が描かれてきた。
 レゾナンスに縛られず愛や友情で動くジン達
 レゾナンスが生み出す絶対的な主従関係から抜け出す希望をジンとトアに見出したアキラ達。
 レゾナンス自体を否定=人間を否定し、ドラゴン至上主義を謳うアーシム。
 三者に共通しているのはレゾナンスを結果的に否定している事。それぞれ目指すものは違えど、それに縛られず、そこから解き放たれようとした、その姿自体には変わり無い。
 しかし最終的に、レゾナンスの楔から逃れる事は出来なかった。レゾナンスを無視し、ジンと友情を育んできたギオがカズキと共鳴し、ドラゴンの力を解放した。結局、どれほど何かを後付けしようとも、一番初めに交わしたレゾナンスには敵わない、そういう風に描かれたようにも思える。
 氷の中で永遠に眠るアキラとマキナも、解放されたくてもされなかった不自由の美しさの極致とも言える。
 本当にレゾナンスから解放され、人とドラゴンは新しい関係性を作り出す事が出来るのか? その関係性の外側にあるジン達やギオ、ウィドーなど、例外の重さを含め、改めて重い問いを突きつけられたジルアード編だった。 




 ジン=ヒロイン。トア=主人公的に描かれた本作で、今回も主人公――と言うより、彼女の王子様的ポジションは異常。コクピットから飛び出してアキラとマキナを追うとか、あなたはどれだけ男前なんだ。いや、ジンも相当頑張ってはいるのですが、こればっかりはもう……(何)。