『新機動戦記ガンダムW Endless Waltz -特別編-』

 本当は放送されるものを視聴しようと思っていたら、どうにも観れないみたいなのでDVDでレンタルしてきました。『ガンダムW』シリーズを観るのは凄く久々で懐かしかったなぁ……。




 以下無駄に長いので省略。
 新しくデザインされ、それぞれの特徴を強調したガンダム達のクオリティの高いアクション。また、サーペントを代表とした量産機達もしっかりした見せ場があってよかった。
 考えてみれば、兵器という分類から脱した「ヒロイックなガンダム」の頂点に立つのはこのシリーズだよなー、と思うわけです。
『種』シリーズのMSも同じ分類なれど、あっちは現実の中での一種の超人であって、こっちはファンタジー方向に流れた演出ですね。しかし、そこにチラリと覗く「リアル」が魅力。例えば、ウイングガンダムゼロカスタムの天使の翼の隙間にバーニアが見えたりとか。
 身近にパソコンや携帯電話のような電子機器が溢れていてる昨今、MSにOSという概念を打ち出した『種』シリーズは、MSをぐっと現実と地続きのリアル感を与えた、と言う点で革命的だったと勝手に感じています。




 や、そんな事はおいといてストーリー感想を。

例えるなら歴史とは終わらないワルツのようなもの。戦争、平和、革命の三拍子がいつまでも続く。

 歴史を断ち切るために必要なのは、戦場で兵士が戦う事だけではない。
 戦争で生き残った兵士が。そして人間一人一人が平和を求めて、武器を持たずに戦いに望まなければならない。と言うアニメシリーズで謳われた『完全平和』の行く末を描いています。
 自分達が、平和にふさわしい人間である事を証明する戦いに向かう市民、と言う物語を。




 倒すべき敵を倒しても何も変わらなかった地球。
 マリーメイア軍の侵攻に怯えて、何もできない市民達。負けるためだけの不殺の戦いに挑むガンダム達の姿をモニター越しに観ているだけの市民を鼓舞するドロシーの台詞が素敵すぎて燃えた。

いつまでお座りしているつもり?
マリーメイアこそ、貴方達が待っていた新しいご主人様よ。さっさと尻尾を振って迎えにいったらどう?
あら、言い間違えました。訂正しますわ。
貴方達はご主人に尻尾を振る犬ではなく、犬に振られる尻尾なのよ。

 そう痛烈に言い放つドロシー。さらに、
「私の知っている男は、墓の下か戦場にしかいない」
とまで。
 そして奮起した市民達を、黄金のトラックに乗せてやるドロシー! 嗚呼、これだけで全部持っていかれたー!
 どうしてこう『W』の女性陣は男前と言うか濃いのでしょうか。ドロシーはほら、眉毛だけでも相当な破壊力ですがwwwww




 で、『エンドレスワルツ』に登場した若干七歳の旗頭、マリーメイア。
 彼女の声優さんが佐久間レイさんで、
「私は勝者となるのです」
とか言うのだから、違う意味で寒気が。
 貴女は何年か経って、サンリオ発の誰も手のつけられない勝者になってますよ、とメタ的な発言をしてしまうのでした。
 そんなマリーメイアも、ものも言わずレディ・アンとの間に割り込んで頬を張るリリーナには負けるのですが。やはり、彼女がここでは最強ですか……。




「大量殺戮の英雄」となる事を拒み、力を持つものの覚悟=すべてが終わった後、力を捨てる覚悟としての自爆装置を手にしたガンダムパイロット達の過去を交えて描かれた『エンドレスワルツ』。
 それぞれの兵士達が相棒でもあるガンダム達を自爆させ、日常へと回帰していく。そしてその後の歴史の中で、ガンダムを含むMSと言う兵器の存在は二度とその姿を現す事がなかった……。
 というワケで、この作品は、黒歴史の中に含まれていない事になっています。自分の中だけで(笑)。
 全部含むなんて言うなら、ちゃんとしてね。こんなにどーどーと言ってるんだから。と、誰にも伝わらない場所で言ってみます。




 平和に値する市民であるために、従順すぎる市民達が武器をもたずに立ち上がる。
 その意思こそが平和のための最重要なファクターであり、ガンダムのような力であっても必要ではない。ある意味、日本人だけにしか受け入れらないテーマのような気もしますが。
 でも非暴力主義というのもあるように、それはきっと重要な事なんでしょう。
 ヒロイックなガンダム。魅力的なキャラクター。深いテーマと、スクリーンで観たかった、と思わせてくれる作品でした。
 ってなわけで、『エンドレスワルツ』感想終了!