『ドラゴノーツ -ザ・レゾナンス-』最終話「共鳴 -永遠に響き合うように-」

 全人類と強制的にレゾナンスして融合するために、六○億以上ものオストルムを地球に降下させるタナトス。ライナ達ドラゴノーツは、これを防ぐため、たった三体で決死の抵抗を試みる。
 一方ジンは、タナトスを説得するため内部への突入を試みるが……。



ドラゴノーツ』も最終話!
 終わってみれば、よく言えば綺麗に。悪く言えば都合よく、しかしそれぞれあるべき形に収まったと思えるラストだった。ジンとトアのあまりのバカップル姿に、ちょっとだけギオが可哀想だとか思ってみたり思わなかったり(苦笑)。
 しかしこの物語はつまるところ、「お義母さん、僕達幸せになります!」と言う宣言に集約されるので問題は無いのかも知れない(言ってません)。
 あれ? となると、もしもタナトスと全人類が融合してしまっていたら、義母とのドキドキ同居生活がスタート(黙レ)?
 第1話のサブタイ+OPの二番からの引用と言うラストらしいタイトルでついにクライマックスへ。
 以下、無駄に長〜い感想。

戦うドラゴノーツ

 全人類の総数とも取れる六〇億以上のオストルム相手に、たった三体で戦いを挑むライナ達。そして、タナトス相手にアイギスだけで戦いを挑むカズキ。絶望的な状況の中で、ここぞとばかりに格好つけるライナや、自然とやるべき事をやってちょっとオペレーターのサキに好感を持たれているカズキが無駄に頼もしいw

理想への成長

 ところで、やたらヒーローしているライナやカズキの変貌に戸惑ったものの、これがある意味、ハウリングスターやギオに投影された各人の理想を自然と体現しているのではないだろうか? 

  • ライナ→ジンの父親が憧れであり目標だった。
  • カズキ→普段の気弱で流されやすい性格の自分ではなく、大好きな(ここ重要)ジンを助けられる強い力を持った男、そんな理想の体現がギオ。

 しかし各人、喪失した目標や理想に縛られず、ごく自然に自分のやるべき事をやる結果として、それぞれの理想を体現している。サカキが辿り着いたレゾナンスへの答え――「理想を前にしての成長」を、実はラストで達成しているのだ。
 ジークリンデにしても、心を開いた祖父とアマデウス(犬)を投影したアマデウス(ドラゴン)で、心を開いていなかった父親を助ける事で成長を見せた。
 と、そこで気になるのがイツキとオトヒメ。ドラゴノーツの中で、ドラゴンの姿が「ほくろのない自分自身」と言う異色のコンビ。よほど自分の理想を着実に歩んできたのか、それとも「ほくろ」がコンプレックスだったのか、はたまた自分大好きなナルシステト的性格の持ち主だったのか……?
 最後の最後で、とんだ謎が残ったナァ。

ノザキの想い

 ラウムから受け継いだ抗タナトス因子を持ち、ジンとトアの道を切り拓いたノザキ。
 登場した人間とドラゴンのパートナーの中でも一番年上で、「大人」同士の異性だった二人。パートナーとなるキタジマは、ヨナミネとの肉体関係も示唆されていたから、当然ジンやトアよりも個々人の意識は進んでいたはずだ。
 しかしノキタジマはザキに対して「理想の研究者」への単純な憧れが表現されていて、実はジンやトア同様、プラトニックな関係だった。だがノザキは呼び方が「君」付けであり、キタジマは「教授」であるように、互いに一歩踏み込めていない、意図的にそうなる事を避けていたようにも感じられる。
 それはキタジマの憧れと言う視線と、ノザキの言う自分達がパートナーを愛しいと思う感情がレゾナンスによって作られたものである、と言う意識からの両者であった事は想像に難くない。
 だが、大切なのは、それが作られたものであっても、そうでなくてもその気持ちを信じる事。そして、守りたい人がいる、と言う事。その想いを「タナトス」、ではなく「マザー」に伝える事。それをジンとトアに託し、ノザキは逝った。最後の最後でキタジマの事を「ユウリ」と名前で呼んだ事が、自分の想いを信じたその証だった。
 自分が男だからそう思うのだろうけど、ヨナミネ同様「これはズルイ」最後だった。最後に残されたキタジマは可哀想ではあるけれど、安易に慰めたり付き合ったり、そんな事ができる空気じゃない……!  

ギオVSオストルム

 因縁のあるギオとオストルムの戦い。いきなり負け犬モードである事を指摘されるオストルムが哀しい(笑)。
 コミュニケーターの姿で繰り広げられるレベルの高い格闘戦は見もの!
 タナトスの意思に忠実にして、レゾナンスへの疑問を投げかけるオストルムに、ギオはレゾナンスで得た「他者を思いやる心」を手に戦う。そして火星を火に包んだ能力を発揮して、オストルムを下す。
 実はオストルムもイツキの弟とのレゾナンスによって形を得た存在であり、しかしすでにパートナーがいないとあってはギオと同様。しかしギオは他者=ジンとトアを思いやり、自分の存在について懊悩すらした。その変化を受け入れたか否かが最大の分かれ目となった結果だった。

幻想の中で

 ジンとトアが想いが本物かどうか確かめるため、ジンは自らの理想から作り出された夢の中を彷徨う。
 カズキは年上の彼女(ウィドー)が出来ていて(笑)、シャトル事故は起こらず、当然家族は死なず、トアとはドラゴンだとか、寿命だとか、そんな事を気にしない出会いをする。
 都合が良すぎて、そのまま幻想の中にいたいとすら思わせるが、しかしジンはトアの声でそこから脱出する。
 しかし、トアとマキナが姉妹ってどういうわけか。似てないにも程があるだろう!……いや、幻想なんだからそんな事言ったってしょうがないのだけれども。まさかジンの奴、トアとマキナでそんな妄想を(ヲイ)?

一人と二人

 これまで、アキラ、マキナ、アーシム、ガーネットと様々なキャラクターの姿を借りて現れていたタナトス。しかしいくら無数の意識を融合した所で、それはつまるところ、タナトスはずっと一人ぼっちであり、他者を愛する事も、思いやる事もできない。
 だがジンとトアは一人ではない。互いに愛し、想いあう事ができ、それは素晴らしい事なのだ、とタナトスの前で主張する二人。
 そしてそれが伝わり、タナトスは意識を変えた。自らの姿を現し、「一人でいる時間が長すぎた」「愛について考える」と自省を促す事に成功した。
 もう何を言うのも野暮と言うか、「愛するって素晴らしい!」と素直に理解しておけ、と言うシーン。
「母親に自分達の存在を認めさせる」という点では『銀河鉄道999』に似た古典的なものを感じるような。 

変わった宿命

 オリジナルドラゴンはそれぞれ、限られた短い寿命の存在であり、その死は避けられない。それは変える事のできない宿命だった。 
 だが、二人がその愛をタナトスに認めさせた事で、どうやらトアの寿命が尽きるのは回避されたという事らしい。あまりに都合が良すぎてポカーンとなったわけだが、ココに至るまで、ラウムやノザキなど、オリジナルドラゴン達の犠牲があったのだ。ここでトアぐらいその宿命が変わったって、バチは当たらないのではないだろうか?
 一人では決して変える事のできない宿命は、しかし二人ならば変えられる、と言う事が最終的なメッセージなのだから。

総評

「異種族の恋」「他者とのコミュニケーション」をテーマに始まった『ドラゴノーツ』。
 正直、満点がつけられるアニメではない。指摘すればキリがないが、何だかどこか言葉が足りない、そんな物足りなさを感じる作品だった。
 しかし、面倒な事に、個人的には大好きなのである、『ドラゴノーツ』。完成度の高いアニメもいいが、そうでない作品の方が、何だかより自分の愛を捧げられる、本作はそんな類のアニメだった。
 何かが欠落した駄目なキャラクター達が一生懸命頑張って、人間と道具と言う関係から、人間とドラゴンが共生する新しい未来の可能性を示して見せた事が素晴らしいのだ。
 そんなアニメを駄目にする、ダメヲタ思考で楽しめた半年間、『ドラゴノーツ』には本当にありがとうと感謝の言葉を。
 まぁ、まだドラマCDの感想や、コミカライズの単行本化も控えているので、しばらくは『ドラゴノーツ』熱は引かないのだろうが。
 ……その上、DVD最終巻には映像特典として第26話が追加されるそうで……。え゛!? 買えって事ですかー!? YESYESYYES!? それはともかく。 
 スタッフ、キャストの皆様、おつかれさまでした。