『DARKER THAN BLACK -黒の契約者-』第二十話「あさき夢見し、酔いもせず…(後編)」

 再び教団に潜入し、教祖アルマの殺害と志保子の殺害を命令された黒。しかし、黒と猫だけには黄とは別の命令が下されていた。志保子を殺害できなかった場合、彼を殺せと……。




 ゾクゾクしたーっ! 『ダーカー』の後半の密度の高さはもはや異常。深夜がこれほど似合うアニメも珍しい。




 今回のエピソードは、アルマと志保子二人の女性に視点を置いて語った方が適切だと感じたのでそうします。黒や黄、猫達野郎共に視点を置くと、多分止まらないぜ(笑)?




 ゲート友の会の教祖アルマの能力は変身。そしてその対価は、アンバーと同じタイプである現象型、老化だった。
 彼女は人間性の欠如と言う人間との精神構造の違いを契約者の業ととらえ、それからの解放を望んでいた。
 契約者の本質は人間である。
 目を引く能力など「オマケ」に過ぎず、また合理的な判断が下せる人間も少なからず存在する事からも人間も契約者も、両者の間には何の変わりもない存在である。
 しかし人間はそう見ない。精神構造の違いからどんな事柄も恐怖しない、合理的に冷静に行動できる事から「殺人マシーン」として扱われる。
 それでも「心」ある彼女が拠り所、または方便として使いだしたのが「信仰」だった。




 サッカーの試合で日本が外国勢に勝てないのは、身体能力、戦術、精神性以前に「神の存在」が大きいと聞いた事がある。
 よくフィールドに十字を切って入る外国人選手がいるが、あれは試合そのものを神に捧げる、と言う意味合いでとらえる事ができるらしい。
 つまりフィールドに入ったその瞬間からただのサッカーの試合ではなく、神にその結果を捧げる「聖戦」になるわけだ。
 自分のためだけではなく、自分以上に大きな存在のために何かを捧げると言う行為は、己を律して大きな力を得る原動力になる。 




 しかし神を信じても信じなくても意味は無い。結局出すのは自分の力だし、それを引き出すのも自分だ。
 だが人間は、神、もしくはそれに類する何かを信じていないと言い訳が出来ない生き物でもある。
 それと同じように、アルマも「信仰」を言い訳に使って人を殺した。殺人マシーンとして。そして、あえて能力を使い続ける事により契約者の業から逃れる事を望んだ。
 対価である老いで死んだ彼女を、黒はおそらく手も出さなかったのだろう。




 後編で、志保子の行動が明らかになった。
 彼女がかつて黄に近づいたのはやはり任務だった。
 契約者としての平淡・冷淡な感情と記憶の中で、しかし、黄が「一緒になれ」と告白した、あの夜だけは違う。たった一つ残ったその記憶のために、黄の記憶を消さない事を組織に頼んだ。
人間性の復活」と言う、人間と契約者、二つの心の狭間で苦しむ彼女を救ったのは、「惚れた弱み」で一緒に死のうと、そして逃げようと言った黄だった。




 最後の最後で、契約者としての冷たい心を持ちながら、黄のために自ら組織の手にかかった志保子。
 それは黄を助けるための最も合理的な行動、と言う事なのかもしれない。契約者の心であっても、愛する人を助けられる証左、と言う事か。




 今回は黒、黄が渋すぎる……ッ!
「契約者だの人間だのどうでもいい」と言い切り黄を逃がす黒。前回のエピソードありきの発言。
 自分の憎しみよりも、志保子の愛情を優先し、共に逃げる事を選択した黄。
 結局、告白の時のように酔えやしなかった黄に……泣いた。 




 次回は黒とウェイ、いよいよ再戦! しかも何か美女とタダナラヌ関係のようで……。男、契約者、女たらし。ウェイもある意味で、黒と対比されているキャラクターなんですね……。