『ドラえもん』「スネ夫の無敵砲台」

感想

 いわゆる「わさドラ」になって違和感や反発を覚える人も多い。最近のあたら芸能人を起用したストーリーやら何やらは確かに面白くないけれど、やっぱり、レベルが高くて面白いのだ、「わさドラ」って。
 などと思いながら『ドラえもん』を見ていた昨日だった。
「TVアニメ30周年企画 あなたの心に残るおはなし大募集の中間発表」で過去の話を見ても感じたが、結局、新しくなった声優陣も声の質は似たような方向性なのだなぁ。
 のび太達の服装も変わったが、それもちゃんとそれぞれのキャラクターからはみ出さないものであるし。「ああ、スネ夫ってピンクとか着そう着そうwwww」とか膝を打った。
 とりあえず、こういう自分の流されやすい所も人生を楽しく生きていくためにはそれなりに役に立つものであると確認。
 個人的に、「柔らかい」ドラえもんを描いた、その一点で「わさドラ」は十分に褒められていいと思うよ。あのぐにゃぐにゃしたドラが何と言うか、個人的には大好きです。
 以下感想。

無敵砲台

 個人的に独裁者スイッチ、地球破壊爆弾などと並んで欲しい秘密道具(ヲイヲイ)。
「発射!」と一言言うだけで、設置された無敵砲台がターゲットを砲撃すると言う大砲。さらにレーダーを装備して接近する敵にも万全! と、まさに無敵な秘密道具。
「他人を暴力で支配したい」と言う人間のエゴを形にした凶悪な秘密道具だが、そのくせ、デカデカを停止ボタンがくっついているアンバランスさがたまらない。

二つのメッセージ

 今回のエピソードには、二つのメッセージが込められている。
 一つは、「いじめっ子がいじめられっ子になる格好悪さ」。そしてもう一つが、「善意に対する責任の取り方」だ。
 前者は、まさにスネ夫の態度そのものだろう。「傷つけられた人間は、その分優しくなれる」なんて嘘っぱち。傷つけられた分以上に、他人を傷つける。そんなエゴの醜さと警告が描かれる。
 そして後者は、のび太の因果応報で締めくくられた一連のオチ。可哀そうだから、安易に無敵砲台を与えた。その結果、多くの人々が酷い目にあった。それに対する責任は、例え自分が傷ついてもとらなきゃいけない。
 どこぞの映画監督は「すり寄る子犬を受け入れる」事を妙に推奨しているが、そこで責任を取れないならはっきり見捨てるべきなのだ。責任が取れないと言う事は、より多くの不幸を生む事になるのだから。責任が取れないなら、身捨てる決断をしなきゃいけないのだ。それが結果的に、多くの人々の幸福につながるのだから。

無敵砲台攻略戦!

 上記の辛気臭い考えはしかし露ほど出さず、楽しいのがのび太ドラえもんによる無敵砲台攻略戦。
 透明マントもレーダーで感知されてダメ。どこでもドアで零距離接近! と言うのも速攻でダメだった。どこでもドアもダメかー(笑)! 考えてみれば、まず真っ先に警戒すべき秘密道具だよなぁ。ところで、未来の戦争って、やっぱりこの手の空間移動技術って規制がかかっているのだろうか。軍隊をどこでもドアで首都に移動させて速攻制圧! とか、戦術なんかでありそうだよなぁ。
 とそんな事を考えてしまうほど、無敵砲台は無敵すぎるッ。こんなのデパートで売っちゃダメだろ(笑)。
 二二世紀って恐ろしいよなぁ、とつくづく思ったのだった。